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第54番札所 近見山延命寺 (ちかみざん ほうしょういん えんめいじ)
2013/11/21 16:38:50瀏覽44|回應0|推薦0

54番札所 近見山宝鐘院 延命寺ちかみざん ほうしょういん えんめいじ)/通称:阿方の延命さん

不動明王 / 真言宗豊山派 / 行基菩薩

ナウマクサンマンダ バダラダンセンダ マカロシヤダ ソワタヤウンタラタ カンマン

くもりなき鏡の縁とながむれば 残さず影をうつすものかな(くもりなき かがみのえんと ながむれば のこさずかげを うつすものかな)

794-0081愛媛県今治市阿方甲6360898-22-5696

前札所:第53番札所 円明寺34.5km/次札所:第55番札所 南光坊3.5km

徒歩:円明寺堀江北条菊間大西延命寺

円明寺から徒歩1分、JR予讃本線:和気大西(1時間)、せとうちパス今治営業所行:大西阿方(7分)、下車後徒歩(400m

JR予讃線今治駅下車。大西・菊間行きバス9分(阿方下車)。徒歩7分。

宿坊:なし

延命寺の歴史・由来

今治の市街地から西北へ6kmほどのところに、延命寺の山号にもなっている近見山という標高244mの山がある。この山頂一帯に七堂伽藍の甍を連ねて、谷々には100坊を数えていたのが延命寺であったと伝えられる。
縁起によると、養老四年に聖武天皇(在位72449)の勅願により、行基菩薩が大日如来の化身とされる不動明王像を彫造して本尊とし、伽藍を建立して開創した。弘仁年間(81024)になって、弘法大師が嵯峨天皇(在位80923)の勅命をうけ、伽藍を信仰と学問の中心道場として再興、「不動院・圓明寺」と名づけ、勅願所とした。この「圓明寺」の寺名は、明治維新まで続いたが、同じ寺名の五十三番・圓明寺(松山市)との間違いが多く、江戸時代から俗称としてきた「延命寺」に改めている。

その後、再三火災に遭い堂宇を焼失しているが、再興をくり返し、享保12年(1727)に難を免れた本尊とともに現在地の近見山麓へ移転した。この間、鎌倉時代の文永5年(1268)、華厳宗の学僧・凝然(12401321)が寺の西谷の坊に籠り、初学者の仏教入門書といわれる『八宗綱要』を著述した。「八宗」とは倶舎・成実・律・法相・三論・天台・華厳の各宗と新しく興った浄土宗で、上下2巻に記されている。
寺にはまた、四国で2番目に古い真念の道標が残されており、境内に馬酔木の木があって、春の彼岸ごろから1ヵ月ほど可憐な白い花をつけている。

延命寺の見どころ

山門

大師堂

もと今治城の城門の一つで、総けやき造り。
明治初期に今治城取り壊しの際に譲り受けた。

火伏せ不動尊

本尊。宝冠をかぶった珍しい不動明王像で、
再三の火災から逃れているのでこの尊名が。

越智孫兵衛の墓

阿方の庄屋であった越智孫兵衛は、
農民の窮乏を救い、享保年間の大飢饉でも
餓死者を出さなかったと伝えられる。

延命寺の年中行事

節分祭

日時:23

お花まつり

日時:48

越智孫兵衛・慰霊祭

日時:87

施餓鬼法要

日時:823

 

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引用
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