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第59番札所 金光山 最勝院 国分寺 (こんこうざん さいしょういん こくぶんじ)
2013/11/21 17:38:12瀏覽93|回應0|推薦0

第59番札所 金光山 最勝院 国分寺 (こんこうざん さいしょういん こくぶんじ)

薬師如来 / 真言律宗 / 行基菩薩

オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ

守護のため建ててあがむる国分寺 いよいよめぐむ薬師なりけり(しゅごのため たててあがむる こくぶんじ いよいよめぐむ やくしなりけり)

799-1533愛媛県今治市国分4-1-330898-48-0533

前札所:第58番札所 仙遊寺6.7km/次札所:第60番札所 横峰寺28.0km

徒歩:仙遊寺松木団地国府橋国分寺

仙遊寺から徒歩45分、せとうちバス今治営業所行:別所郷森(8分)、せとうちバス志々満原行:郷森国分寺(16分)、下車後徒歩(100m

JR予讃線今治駅下車。桜井団地行きバス25分(国分寺下車)。徒歩2分。

宿坊:なし

国分寺の歴史・由来

本堂

伊予国分寺。伊予の国府があったところで、この地域は伊予文化発祥の地ともいえる。往時の国分寺はいまの寺から150mほど東にあった。東塔跡とみられる遺跡には13個の巨大な礎石があり、国の史蹟とされている。礎石の配置等から推測される七重塔の高さは60mほどで、豪壮な七堂伽藍を構えた寺観は、伊予の仏教界に君臨した天平の昔をしのばせ、その面影をいまに残している。
国分寺は天平13年、聖武天皇(在位72449)の勅願により行基菩薩が本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられる。第3世住職・智法律師のとき、弘法大師が長く滞在して「五大尊明王」の画像一幅を奉納、また大師の弟子・真如(?〜862?)も2年間留まり、『法華経』の一部を書写して納められている。

大師堂

その後の伊予国分寺は、悲運な災禍の歴史に見舞われる。まず、天慶2年(939)の「藤原純友の乱」により灰燼に帰した。次に、元暦元年(1184)源平合戦の戦火による焼失。3度目は南北朝時代の貞治3年(1364)、讃岐・細川頼之の兵火によって焼かれ、さらに4度目は長宗我部元親の「天正の兵火」にかかり、堂塔を焼失している。相次ぐ罹災で寺は荒廃、元禄2年(1689)の寂本著『四國禮霊場記には「茅葺の小堂が寂しく建つのみ」旨が記されている。本格的な復興は江戸時代後期からであった。
幸い寺には、古瓦をはじめ『国分寺文書』『大般若経』など数多い文化財が保存されている。
四國禮霊場記には「茅葺の小堂が寂しつのみ」旨が記されている。本格的な復興は江戸時代後期からであった。

国分寺の見どころ

握手修行大師

本堂・本尊

本堂は寛政元年(1789)に再建。
伝行基菩薩作の本尊・薬師如来像は県指定文化財。

書院

奈良・平安時代の出土品、平安から室町時代に制作された
資料価値の高い絵画、文書類が収蔵されている。

唐椿

伊予の10大椿とされ、四月中旬には
17cmほどの牡丹に似た花をつけ、楽しませてくれる。

( 興趣嗜好其他 )
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引用
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