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第57番札所 府頭山無量寿院 栄福寺 (ふとうざん むりょうじゅいん えいふくじ)
2013/11/21 17:15:36瀏覽31|回應0|推薦0

57番札所 府頭山無量寿院 栄福寺ふとうざん むりょうじゅいん えいふくじ)

阿弥陀如来 / 高野山真言宗 / 弘法大師

オン アミリタ テイゼイ カラウン

この世には弓矢を守る八幡なり 来世は人を救う弥陀仏(このよには ゆみやをまもる やはたなり らいせはひとを すくうみだぶつ)

794-0114愛媛県今治市玉川町八幡甲2000898-55-2432

前札所:第56番札所 泰山寺3.0km/次札所:第58番札所 仙遊寺2.5km

徒歩:泰山寺バス停小泉山手橋バス停八幡栄福寺(交通機関の利用不可)

JR予讃線今治駅下車。鈍川方面神子森行きバス19分(大須木下車)。徒歩20分。

宿坊:なし

栄福寺の歴史・由来

瀬戸内海沿岸のこの近海では、海難事故が絶えなかった。栄福寺は、弘法大師が海神供養を修したことから、海陸安全、福寿増長の祈願寺として往古から信仰されている。
縁起によると、嵯峨天皇(在位80923)の勅願により、大師がこの地を巡教したのは弘仁年間であった。内海の風波、海難の事故の平易を祈って、府頭山の山頂で護摩供を修法された。その満願の日、風波はおさまり、海上には阿弥陀如来の影向が漂った。この阿弥陀如来の尊像を府頭山頂まで引き揚げて堂宇を建て、本尊として安置したのが創建といわれ、勅願寺とされた。

栄福寺には、神仏混合の歴史もあり、その由来も平安時代に遡る。貞観元年(859)、大和・大安寺の行教上人が宇佐八幡(大分)の霊告をうけて、その分社を山城(京都)の男山八幡(石清水八幡)として創建するため、近海を航行中に暴風雨に遭い、この地に漂着した。ところが府頭山の山容が山城の男山と似ており、しかも本尊の阿弥陀如来は八幡大菩薩の本地仏でもあることから、境内に八幡明神を勧請して社殿を造営、神仏合体の勝岡八幡宮を創建したと伝えられる。この八幡宮は「伊予の石清水八幡宮」とも呼ばれ、「四国五十七番」と仲良く寺社名を刻んだ石塔の道標が立っている。
明治新政府の神仏分離令により、寺は旧地から山の中腹になる現在地に移転し、また神社と寺はそれぞれ独立した。現在の大師堂は、山頂にあった堂舎を移築した由緒がある。

栄福寺の見どころ

古い納経帳

寛政12年(1800)7月、九州から巡礼に来た人の名で、
「八幡宮別当栄福寺」と記されている。約3ヵ月で四国霊場を一巡している。

少年の箱車

足の不自由な15歳の少年が、犬に引かせて巡礼した箱車で、
昭和8年にこの寺で足が治り、松葉杖とともに奉納したもの。

お願い地蔵

参道入口。赤い帽子をかぶっている。

栄福寺の年中行事

お薬師さん

日時:87

( 興趣嗜好其他 )
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引用
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