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第58番札所 作礼山千光院 仙遊寺 (されいざん せんこういん せんゆうじ)
2013/11/21 17:21:29瀏覽75|回應0|推薦0

第58番札所 作礼山千光院 仙遊寺 (されいざん せんこういん せんゆうじ)/通称:おされさん

千手観世音菩薩 / 高野山真言宗 / 弘法大師

オン バザラ タラマキリク

立ち寄りて作礼の堂にやすみつつ 六字をとなえ経を詠むべし(たちよりて されいのどうに やすみつつ ろくじをとなえ きょうをよむべし)

794-0113愛媛県今治市玉川町別所甲4830898-55-2141

前札所:第57番札所 栄福寺2.5km/次札所:第59番札所 国分寺6.7km

徒歩:栄福寺犬塚池駐車場仙遊寺(利用可能な交通機関はなし)

JR予讃線今治駅下車。鈍川方面神子森行きバス19分(大須木下車)。徒歩1時間。

 

仙遊寺の歴史・由来

境内は、山号になっている作礼山の山頂近い標高300mの高台にあり、今治の市街地や四国一高い今治国際ホテルは眼下に望める。その先には瀬戸内海に浮かぶ島々、さらには平成11年に開通した「しまなみ海道」も一望できる眺望豊かな地にある。
創建は天智天皇(在位66871)の勅願により、伊予の国主・越智守興公が堂宇を建立、本尊の千手観音菩薩像は天皇の念持仏として、海から上がってきた竜女が一刀三礼しながら彫って安置したとされる。このことから「作礼山」が山号となり、竜宮から届けられたという伝説もある。

さらに仙遊寺には、阿坊仙人という僧が40年にわたって籠り、七堂伽藍を整えるなどをしたが、養老2年(718)に忽然と姿を消してしまったという伝説が残っている。寺名はその阿坊仙人に由来している。
弘法大師が四国霊場開創の折にこの寺で修法をされたとき、病に苦しむ人々を救済しようと井戸を掘り、また荒廃していた七堂伽藍を修復して再興、寺運は興隆した。この井戸は旧参道の脇に残り、「お加持の井戸」として多くの諸病を救ったと伝えられ、信仰されている。
江戸時代には荒廃して本堂と12社権現だけとなっていたが、明治時代の初期、高僧・宥蓮上人が山主となり、多くの信者とともに再興に尽力した。宥蓮上人は明治4年、日本最後の即身成仏として入定している。境内には、上人を供養した五輪塔がある。

仙遊寺の見どころ

竜燈桜碑

伝説の竜女は海に帰ったが、旧暦7月9日になると毎年川を上って
竜燈を境内の桜の木にかけたと伝わる。その桜の跡に立っている石碑。

犬塚池

文化4年(1807)に完成した溜池で、仙遊寺と栄福寺の使い役をした犬の供養池。

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引用
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