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第56番札所 金輪山 勅王院 泰山寺  (きんりんざん ちょくおういん たいさんじ)
2013/11/21 17:04:46瀏覽41|回應0|推薦0

第56番札所  金輪山 勅王院 泰山寺  (きんりんざん ちょくおういん たいさんじ)

地蔵菩薩 / 真言宗醍醐派 / 弘法大師

ノウビイブウ ソワカ

みな人のまいりてやがて泰山寺 来世の引導たのみおきつつ(みなひとの まいりてやがて たいざんじ らいせのいんどう たのみおきつつ)

794-0081愛媛県今治市小泉1-9-180898-22-5959

前札所:第55番札所 南光坊3.0km/次札所:第57番札所 栄福寺3.0km

徒歩:南光坊今治西高泰山寺

南光坊から徒歩5分、せとうちバス鈍川温泉・神子森本地ロ・葛谷・新谷土居行:高島屋前小泉(12分)、下車後徒歩(600m

JR予讃線今治駅下車。鈍川方面神子森行きバス8分(小泉下車)。徒歩10分。

宿坊: 80人(3800円)

泰山寺の歴史・由来

泰山寺には、水難で人命を失う悪霊のたたりを鎮めた伝説が根強く残っている。

弘法大師がこの地を訪れたのは弘仁6年のころ。蒼社川という川がこの地方を流れており、毎年梅雨の季節になると氾濫して、田地や家屋を流し、人命を奪っていたため、村人たちは恐れ苦しみ、人取川といって悪霊のしわざと信じていた。この事情を聴いた大師は、村人たちと堤防を築いて、「土砂加持」の秘法を七座にわたり修法したところ、満願の日に延命地蔵菩薩を空中に感得し、治水祈願が成就したことを告げた。

大師は、この修法の地に「不忘の松」を植えて、感得した地蔵菩薩の尊像を彫造して本尊とし、堂舎を建てて「泰山寺」と名づけた。この寺名は、『延命地蔵経』の十大願の第一「女人泰産」からとったと伝えられる。「泰山」にはまた、寺があった裏山の金輪山を死霊が集まる泰山になぞらえ、亡者の安息を祈り、死霊を救済する意味もあるという。
寺はその後、淳和天皇(在位82333)の勅願所となり、七堂伽藍を備えて、塔頭に地蔵坊、不動坊など10坊を構えるほどの巨刹として栄えた。だが度重なる兵火により寺の規模は縮小し、金輪山の山頂にあった境内が麓の現在地、大師お手植えの「不忘の松」があったところに移ったと伝えられている。
泰山寺の右約300m「塔の元」という場所は、鎌倉時代の学僧で、『八宗綱要』を撰述した凝然(12401321)が誕生した地とされている。

泰山寺の見どころ

土砂加持

川の氾濫などで命をなくした亡者追善の祈祷などをいう。

不忘の松

大師堂の側にあったが、いまは切り株だけが残っている。
この切り株に腰をかけると腰痛に霊験あらたかという。

地蔵車

本堂斜め前。石塔に丸い輪があり、これを回すと六道輪廻の絆を断てるといわれる。
六道は、地獄・餓鬼など衆生が背負う六つの迷界。

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引用
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