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第49番札所 西林山 三蔵院 浄土寺 さいりんざん じょうどじ
2013/02/14 21:51:56瀏覽132|回應0|推薦0

49番札所 西林山三蔵院 浄土寺(さいりんざん じょうどじ)

釈迦如来 / 真言宗豊山派 / 恵明上人

ナウマク サンマンダ ボダナンバク

十悪のわが身を捨てずそのままに 浄土の寺へまいりこそすれ(じゅうあくの わがみをすてず そのままに じょうどのてらへ まいりこそすれ)

790-0925愛媛県松山市鷹子町1198089-975-0173

前札所:第48番札所 西林寺3.1km/次札所:第50番札所 繁多寺1.6km

徒歩:西林寺久米八幡宮浄土寺

西林寺から徒歩1分、伊予鉄バス松山行:西林寺前久米(15分)、下車後徒歩5分、伊予鉄バス鷹子温泉行:松山駅鷹子温泉(27分)、下車後徒歩(200m

伊予鉄道久米駅下車。徒歩5分。

宿坊 : なし

 

浄土寺の歴史・由来

境内入口に正岡子規の句碑「霜月の空也は骨に生きにける」が立つ。浄土寺は空也上人(90372)の姿がいまに残る寺である。腰のまがったやせた身に、鹿の皮をまとい、ツエをつき鉦をたたきながら行脚し、「南無阿弥陀仏」を唱えるひと言ひと言が小さな仏となって口からでる姿が浮かぶ。道路を補修し、橋を架け、井戸を掘っては民衆を救い、また広野に棄てられた死体を火葬にし、阿弥陀仏を唱えて供養した遊行僧、念仏聖である。
この空也上人像を本堂の厨子に安置する浄土寺は、縁起によると天平勝宝年間に女帝・孝謙天皇(在位74958)の勅願寺として、恵明上人により行基菩薩(668749)が彫造した釈迦如来像を本尊として祀り、開創された。法相宗の寺院だったという。のち弘法大師がこの寺を訪ねて、荒廃していた伽藍を再興し、真言宗に改宗した。そのころから寺運は栄え、寺域は八丁四方におよび、66坊の末寺をもつほどであった。

空也上人が四国を巡歴し、浄土寺に滞留したのは平安時代中期で、天徳年間(95761)の3年間、村人たちへの教化に努め、布教をして親しまれた。鎌倉時代の建久3年(1192)、源頼朝が一門の繁栄を祈願して堂塔を修復した。だが、応永23年(1416)の兵火で焼失、文明年間(146987)に領主、河野道宣公によって再建された。
本堂と内陣の厨子は当時の建造で、昭和36年に解体修理をされているが、和様と唐様が折衷した簡素で荘重な建物は、国の重要文化財に指定されている。

浄土寺の見どころ

空也上人像

仁王門

国指定重要文化財。像高1215cm、木造、玉眼。口元から六体の阿弥陀小化仏を吐いている。本坊の庭に2代目の空也松。

落書き

本堂厨子に室町時代から江戸時代にかけての落書きがあり、貴重な歴史史料。

三蔵院

浄土宗の開祖・法然上人、1世・聖光上人、2世・良忠上人の自作像が安置されていた。この三像は昭和20年の松山空襲で出開帳先の寺で全焼している。

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引用
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