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第46番札所 医王山 養珠院 浄瑠璃寺 いおうざん ようじゅいん じょうるりじ
2012/03/26 20:14:11瀏覽165|回應0|推薦0

46番札所 医王山養珠院 浄瑠璃寺(いおうざん ようじゅいん じょうるりじ

薬師如来 / 真言宗豊山派 / 行基菩薩

オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ

極楽の浄瑠璃世界たくらえば うくる苦楽は報いならまし(ごくらくの じょうるりせかい たくらえば うくるくらくは むくいならまし)

791-1133愛媛県松山市浄瑠璃町282089-963-0279

前札所:第45番札所 岩屋寺26.6km/次札所:第47番札所 八坂寺0.9km

徒歩:岩屋寺畑野久万三坂峠丹波久谷浄瑠璃寺

岩屋寺から徒歩10分、伊予鉄バス久万・松山行:岩屋寺前高尾田(73分)、伊予鉄バス丹波・久谷行:高尾田浄瑠璃寺(12分)、下車後徒歩(100m

伊予鉄道松山市駅下車。久谷行きバス50分(浄瑠璃寺下車)。徒歩1分。

宿坊 : なし

浄瑠璃寺は松山市内八ヶ寺の打ち始めの霊場である。参道入口の石段左に「永き日や衛門三郎浄るり寺」と彫られた正岡子規の句碑があり、お遍路を迎えてくれる。このあたりは遍路の元祖といわれる右衛門三郎のふる里として知られる。
縁起を辿ってみると、行基菩薩が奈良の大仏開眼に先だち、和銅元年に布教のためにこの地を訪れ、仏法を修行する適地として伽藍を建立した。白檀の木で薬師如来像を彫って本尊とし、脇侍に日光・月光菩薩と、眷属として十二神将を彫造して安置した。寺名は薬師如来がおられる瑠璃光浄土から「浄瑠璃寺」とし、山号もまた医王如来に因んだ。

約百年後の大同2年(807)、唐から帰朝した弘法大師がこの寺にとどまり、荒廃していた伽藍を修復し、四国霊場の一寺とした。室町時代の末期に足利幕府の武将、平岡道倚が病に苦しみ、本尊に祈願したところ、ご利益で全快したのに感激し、寺塔を再興して厚く帰依した。
江戸時代の正徳5年(1715)に山火事で本尊と脇侍をのぞいてほとんどの寺宝、伽藍を焼失したが、70年後の天明5年(1785)、地元の庄屋から住職になった僧・堯音が復興に尽力した。堯音は、托鉢をしながら全国を行脚してその浄財で現在の本堂その他の諸堂を再興している。また、社会事業家としても知られ、岩屋寺から松山市にいたる土佐街道に、苦難の末に8つの橋を架けている。
境内の樹齢1,000年を超す大樹イブキビャクシン(市天然記念物)が、信仰を得ている。

浄瑠璃寺の見どころ

仏手・仏足石の寺

境内にそびえる樹齢約1,000年のイブキビャクシンの大木の下に安置されています。延命、豊作にご利益があるとして信仰を集めています。樹高約20メートルのイブキビャクシンは弘法大師が加持したものといわれ松山市の天然記念物に指定されています。

仏足石

一願弁天堂

本堂左手奥の鳥居の中。天女像が祀られ、音楽、智恵、美貌、財宝、福徳に霊験があると伝えられる。

説法石

「おかけください。霊鷲山の石が埋め込んであります」と説明書。

浄瑠璃寺の年中行事

平和祈願法要

日時:815

( 興趣嗜好其他 )
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引用
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