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第45番札所 海岸山 岩屋寺 かいがいざん いわやじ
2012/03/26 18:41:37瀏覽171|回應0|推薦0

45番札所 海岸山 岩屋寺(かいがんざん いわやじ)

不動明王 / 真言宗豊山派 / 弘法大師

ナウマクサンマンダ バダラダンセンダ マカロシヤダ ソワタヤウンタラタ カンマン

大聖の祈る力のげに岩屋 石のなかにも極楽ぞある(だいしょうの いのるちからの げにいわや いしのなかにも ごくらくぞある)

791-1151愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥14680892-57-0417

前札所:第44番札所 大宝寺9.1km/次札所:第46番札所 浄瑠璃寺26.6km

徒歩:大宝寺畑野川住吉神社岩屋橋岩屋寺

大宝寺から徒歩15分、伊予鉄バス上直瀬・面・水押行:大宝寺□→岩屋寺前(25分)、下車後徒歩(600m

JR松山駅下車。高知行きバス久万乗換え、面河行きバス岩屋寺前下車。徒歩20分。

宿坊80人(3800円)

岩屋寺の歴史・由来

山門

標高700m。奇峰が天を突き、巨岩の中腹に埋め込まれるように堂宇がたたずむ典型的な山岳霊場である。神仙境をおもわせる境内は、むかしから修験者が修行の場としていたようで、さまざまな伝承が残されている。
弘法大師がこの霊地を訪ねたのは弘仁6年とされている。そのころすでに土佐の女性が岩窟に籠るなどして、法華三昧を成就、空中を自在に飛行できる神通力を身につけ、法華仙人と称していたという。だが仙人は、大師の修法に篤く帰依し、全山を献上した。大師は木造と石造の不動明王像を刻み、木像は本尊として本堂に安置し、また、石像を奥の院の秘仏として岩窟に祀り、全山をご本尊の不動明王として護摩修法をなされた。

大師堂

一遍上人(123989)が鎌倉時代の中期にこの古刹で参籠・修行したことは、『一遍聖絵』にも描かれており、13世紀末ごろまでにはこれらの不動尊像をはじめ、護摩炉壇、仙人堂、49院の岩屋、33の霊窟などがそのまま残っていたと伝えられる。いつの頃からか、四十四番大寶寺の奥の院とされていたが、明治7年に第一世の住職が晋山した。だが、同31年(1898)に仁王門と虚空蔵堂をのこし諸史料ともども全山を焼失した。大正9年に本堂より一回り大きい大師堂を再建、その後、昭和2年に本堂、同9年に山門、27年鐘楼を復興、宿坊遍照閣は38年、逼割不動堂・白山権現堂は同53年にそれぞれ建立されている。大師堂は国指定重要文化財、寺域は国の名勝、県立自然公園の指定地でもある。

岩屋寺の見どころ

穴禅定

本堂に向かう石段の下。

道開き不動

納経所下の曲がり角、虚空蔵堂裏。

逼割禅定

本堂

奥の院・大師堂奥の山道を辿る。

鈴の音山河

お遍路さんをさわやかに歌ったうた。
現住職が作詞・作曲。

七鳥

三宝鳥、慈悲心鳥、慈悲声鳥、
鼓鳥、鈴鳥、笛鳥、鉦鼓鳥。

初めて発見された植物

イヨクジャク、イワヤシダ、イワヤスゲ。

( 興趣嗜好其他 )
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引用
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