字體:小 中 大 | |
|
|
2012/03/26 14:57:08瀏覽186|回應3|推薦0 | |
第43番札所 源光山円手院 明石寺(げんこうざん えんじゅいん めいせきじ)/通称:あげいしさん 千手観世音菩薩 / 天台宗寺門派 / 正澄上人 オン バザラ タラマキリク 聞くならく千手不思議の誓いには 大盤石も かろくあげ石(きくならく せんじゅふしぎの ちかいには だいばんじゃくも かろくあげいし) 〒797-0007:愛媛県西予市宇和町明石201(0894-62-0032) 前札所:第42番札所 佛木寺(10.8km)/次札所:第44番札所 大宝寺(70.2km) 徒歩:仏木寺→歯長峠→下川→鬼窪→明石寺 仏木寺から徒歩8分、宇和島バス宇和島行:→仏木寺前(40分)、JR予讃本線:→卯之町(40分)、宇和島バス田の中行:→明石(4分)、下車後徒歩(300m) JR予讃線卯之町駅下車。徒歩35分。 宿坊100人(3800円) 明石寺の歴史・由来 明石寺が所在する宇和町には、愛媛県歴史文化博物館をはじめ、宇和文化の里の開明学校、申議堂のほか、高野長英の隠れ家、多くの古墳など古代の遺跡が残されている歴史と文化の町である。明石寺にもまた奇逸な歴史の縁起が残されている。 弘仁13年(822)には弘法大師がこの地を訪ねている。荒廃した伽藍を見た大師は、嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上して勅命を受け、金紙金泥の『法華経』を納めて、諸堂を再興した。その後、鎌倉時代になってから再び荒れ果てた伽藍の修復に当たったのは、源頼朝である。建久5年(1194)、頼朝は命の恩人である池禅尼の菩提を弔って阿弥陀如来像を奉納、また経塚をきずいて、山号の現光山を「源光山」に改めた。 明石寺の見どころ 神仏習合 明治維新まで神仏習合の寺院で、住職を別当職と呼んでいた。 本堂 明治時代に全国の信者の浄財によって建立した。屋根は唐破風造りで、左右両端が反るように天を向き、柔らかい曲線を描いている。 しあわせ観音像 客殿の裏にあり、身の丈2m余、長い袂着物姿で、左手に水瓶をもつ慈悲深いお顔の観音さま。 |
|
( 興趣嗜好|其他 ) |