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2012/03/26 15:30:34瀏覽323|回應0|推薦0 | |
第44番札所 菅生山大覚院 大宝寺(すごうざん だいかくいん だいほうじ) 十一面観世音菩薩 / 真言宗豊山派 / 明神右京・隼人 オンマカ キャロニキャ ソワカ 今の世は大悲の恵み菅生山 ついには弥陀の誓いをぞ待つ(いまのよは だいひのめぐみ すごうさん ついにはみだの ちかいをぞまつ) 〒791-3500:愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生二番耕地1173(0892-21-0044) 前札所:第43番札所 明石寺(70.2km)/次札所:第45番札所 岩屋寺(9.1km) 徒歩:明石寺→田野中→大洲→内子→梅津→久万→大宝寺 明石寺→JRバス卯ノ町駅行:→卯ノ町駅(7分)、JR予讃本線→松山(2時間49分)、JRバス高知行:→久万(1時間10分)、下車後徒歩(1.5km) JR松山駅下車。高知行きバス1時間10分(久万中学校下車)。徒歩20分。 宿坊130人(3800円)、要予約 大寶寺の歴史・由来 四十三番明石寺からの道のりは約80km、峠越えの難所がつづき、歩けば20時間を超す「遍路ころがし」の霊場。四国霊場八十八ヶ所のちょうど半分に当たり、「中札所」といわれる。標高四90mの高原にあり、境内は老樹が林立し、幽寂な空気が漂う。 大師堂 仁平2年(1152)、全山を焼失。だが、直後の保元年間(1156〜59)に後白河天皇(在位1155〜58)が病気平癒を祈願して成就され、ここに伽藍を再建し、勅使を遣わして妹宮を住職に任じて勅願寺とした。このときに「菅生山」の勅額を賜り、七堂伽藍の僧堂を備え、盛時には山内に48坊を数えるほどであった。 大寶寺の見どころ 鐘楼 久万山農民一揆 寛保元年(1741)、農民3,000人が税制の不満で一揆を起こしたとき、当時の大寶寺住職・斉秀が仲裁した。また、天明7年(1787)土佐藩の「紙漉一揆」の舞台ともなった。 陵権現 後白河天皇の妹宮の遺体を祀るお堂と五輪塔。脳、頭の病気に霊験あらたかと。 芭蕉塚 芭蕉33回忌の法要を営んだ際の建立。 |
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