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第79番札所 金華山 高照院 天皇寺 きんかざん こうしょういん てんのうじ
2013/11/28 09:40:37瀏覽89|回應0|推薦0

第79番札所 金華山 高照院 天皇寺 (きんかざん こうしょういん てんのうじ)/通称:高照院、天皇さん

十一面観世音菩薩 / 真言宗御室派 / 弘法大師

オンマカ キャロニキャ ソワカ

十楽の 浮き世の中を 訪ぬべし 天皇さえも さすらいぞある(じゅうらくの うきよのなかを たずぬべし てんのうさえも さすらいぞある)

762-0021香川県坂出市西庄町字天皇1713-20877-46-3508

前札所:第78番札所 郷照寺6.3km/次札所:第80番札所 国分寺6.8km

徒歩:郷照寺国道11号線坂出天皇寺

郷照寺から徒歩5分、琴参バス高松行:宇多津駅前西の庄(10分)、下車後徒歩(300m

JR予讃線八十場駅下車。徒歩5分。

宿坊: 100

天皇寺の歴史・由来

寺伝によると、天平年間に金山の中腹に、行基菩薩によって開創され、弘法大師によって荒廃した堂舎を再興されている。大師が弘仁年間(81024)にこの地方を訪ね、弥そ場という沢水が落ちる霊域にきた際、ひとりの天童が現れて閼伽井を汲み、大師にしたがい給仕をした。この天童は、金山を鎮守する金山権現であった。天童は、永くこの山の仏法を護るようにと誓って、持っていた宝珠を大師に預けた。大師はこの宝珠を嶺に埋めて仏法を守護し、その寺を摩尼珠院と号した。大師はまた、弥蘇場の霊域にあった霊木で本尊とする十一面観世音菩薩をはじめ、脇侍として阿弥陀如来、愛染明王の三尊像を彫造し、堂舎に安置した。この本尊の霊験が著しく、諸堂が甍をならべ、境内は僧坊を二十余宇も構えるほどであった。

保元元年(11567月、崇徳上皇(天皇在位112341)は「保元の乱」に敗れ、京都・知足院に入られて落飾された。直後の同月23日、上皇は讃岐国に遷幸されるよう勅命があり、末寺の長命寺本堂を皇居と定められた。上皇は、阿弥陀如来への尊崇が深く守護仏とされていたが、長寛2年(1164)御寿46年で崩御された。二条天皇(在位115865)は、上皇の霊を鎮めるため崇徳天皇社を造営、また、後嵯峨天皇(在位124246)の宣旨により永世別当職に任じられ、現在の地に移転された。 明治新政府の神仏分離令により、摩尼珠院は廃寺とされたが、天皇社は白峰宮となって初代神官には摩尼珠院主が赴任した。明治20年、筆頭末寺の高照院が当地に移り、金華山高照院天皇寺として今日にいたっている。

天皇寺の見どころ

三輪鳥居

天皇寺の正面にある。普通の明神鳥居の左右にやや小さい脇鳥居を組み合わせた珍しい鳥居で、奈良・大神神社など全国で3ヶ所にしかない。この横には源頼朝寄進の下乗石、上段には崇徳天皇社が配置されている。

災禍

応仁から天正末に至るまで兵火により焼亡しているが、松平頼重高松初代藩主の庇護を受けて復興している。

( 興趣嗜好其他 )
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引用
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