網路城邦
上一篇 回創作列表 下一篇   字體:
第77番札所 桑多山 明王院 道隆寺 そうたざん みょうおういん どうりゅうじ
2013/11/28 09:32:34瀏覽45|回應0|推薦0

第77番札所 桑多山 明王院 道隆寺 (そうたざん みょうおういん どうりゅうじ

薬師如来 / 真言宗醍醐派 / 和気道善

オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ

願いをば 仏道隆に 入り果てて 菩提の月を 見まくほしさに(ねがいをば ぶつどうりゅうに いりはてて ぼだいのつきを みまくほしさに)

764-0022香川県仲多度郡多度津町北鴨1丁目3-300877-32-3577

前札所:第76番札所 金倉寺3.9km/次札所:第78番札所 郷照寺7.1km

徒歩:金倉寺国道32号線国道11号線葛原自動車教習所道隆寺

金倉寺から徒歩2分、琴参バス高松行:金蔵寺立場丸亀通町(15分)、琴参バス多度津経由善通寺行:丸亀通町道隆寺(10分)、下車後徒歩(100m

JR予讃線多度津駅下車。徒歩15分。

宿坊:なし

道隆寺の歴史・由来

仁王門をくぐると、ブロンズの観音さんがずらりと並んで迎えてくれる。創建ころのこの付近一帯は広大な桑園で、絹の生産地であったようである。縁起によると、和銅5年、この地方の領主、和気道隆公が桑の大木を切り、小さな薬師如来像を彫造し、草堂を建てたのが寺の初めといわれる。道隆公は、周囲5メートル近い桑の大木が、夜ごと妖しい光を放っているのを見た。この光を怪しみ矢を射ると、女の悲鳴があり、乳母が倒れて死んでいた。嘆き悲しんだ道隆公は、その桑の木で仏像を彫り、草堂に安置して供養すると、不思議にも乳母は生き返ったという。

大同2年(807)、道隆公の子・朝祐公は唐から帰朝した弘法大師に懇願し、90ンチほどの薬師如来像を彫造、その胎内に父・道隆公の像を納めて本尊とした。
朝祐公は大師から授戒をうけて第2世住職となり、先祖伝来の財産を寺の造営にあてて七堂伽藍を建立、寺名は創建した父の名から「道隆寺」と号した。第3世は弘法大師の実弟にあたる真雅僧正(法光大師)が嗣ついで二十三坊を建立し、第四世の円珍(智証大師)は五大明王、聖観世音菩薩像を彫造して護摩堂を建立、次の第5世聖宝(理源大師)の代には「宝祚祈願所」となっている。高僧が相次いで寺勢は栄えたが、貞元年間(97678)の大地震による堂塔の倒壊や、康平3年(1060)の兵火、また「天正の兵火」に遭うなど興亡をくり返しながらも、法灯を守り続けている。

道隆寺の見どころ

潜徳院殿堂

本堂の左裏手。江戸後期の典医・京極左馬造公の墓所で、眼病にご利益があると信仰されている。

観音像

西国、秩父、坂東の百観音のほか、観音霊場として名高い各地の本尊、
水子供養の観音像や交通安全の観音像など255が建立されている。

寺宝

鎌倉時代の絹本著色「星曼荼羅図」は国指定重要文化財。

道隆寺の年中行事

定例護摩供

日時:1月、5月、9月の各28日・13:00
場所:五大明王堂

( 興趣嗜好其他 )
回應 推薦文章 列印 加入我的文摘
上一篇 回創作列表 下一篇

引用
引用網址:https://classic-blog.udn.com/article/trackback.jsp?uid=angelayen2001&aid=9664494