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第78番札所 仏光山 広徳院 郷照寺 ぶっこうざん こうとくいん ごうしょうじ
2013/11/28 09:36:35瀏覽70|回應0|推薦0

第78番札所 仏光山 広徳院 郷照寺 (ぶっこうざん こうとくいん ごうしょうじ/通称:厄除けうたづ大師

阿弥陀如来 / 時宗 / 行基菩薩

オン アミリタ テイゼイ カラウン

踊り跳ね 念仏唱う 道場寺 拍子を揃え 鐘を打つなり(おどりはね ねんぶつとなう どうじょうじ ひょうしをそろえ かねをうつなり)

769-0210香川県綾歌郡宇多津町14350877-49-0710

前札所:第77番札所 道隆寺7.1km/次札所:第79番札所 天皇寺6.3km

徒歩:道隆寺丸亀市街蓬莱橋(旧国道11号線)宇多津郷照寺

道隆寺から徒歩1琴参バス丸亀行:バス停道隆寺丸亀通町(10分)、琴参バス高松行:丸亀通町西の庄(10分)、下車後徒歩(400m

JR予讃線宇多津駅下車。徒歩20分。

宿坊: 50人(3800円)

http://www.yakuyoke.org/index.html

郷照寺の歴史・由来

境内からは瀬戸内海にかかる瀬戸大橋の眺望が見事である。往時から港町として栄え、「四国の正面玄関」とでもいえる場所なので、高僧・名僧との由縁が深い霊場である。地元では「厄除うたづ大師」と呼ばれ、また、四国霊場で唯一「時宗」の霊場である。縁起によると、郷照寺は神亀2年、行基菩薩によって開創された。行基菩薩は55センチほどの阿弥陀如来像を彫造し、本尊として安置され、「仏光山・道場寺」と称した。御詠歌に「道場寺」と詠まれているのもその名残である。その後、大同2年(807)に弘法大師が訪れ、仏法有縁の地であると感得し、大師自身の像を彫造して厄除けの誓願をされた。この木造の大師像は「厄除うたづ大師」としていまも広く信仰されている。

京都・醍醐寺の開山として知られる理源大師(聖宝・832909)がこの寺に籠山し修行したのは仁寿年間(85154)とされ、また、浄土教の理論的基礎を築いた恵心僧都(源信・9421017)が霊告を受けて釈迦如来の絵を奉納し、釈迦堂を建立したのは寛和年間(98587)とされている。さらに、仁治4年(1243)には『南海流浪記』の著者である高野山の道範阿闇梨が流罪となったとき、この寺を仮寓にした。「時宗」の開祖・一遍上人(123989)は、正応元年(1288)に3ヵ月ほど逗留して踊り念仏の道場を開くなど、真言・念仏の2教の法門が伝わることになり、八十八ヶ所の中で特異な霊場となる。なお、道場寺を「郷照寺」と改めたのは、寛文4年(1664)のことである。

郷照寺の見どころ

改宗

寛文4年、高松初代藩主・松平頼重公のとき、
寺名とともに「時宗」に改めている。 。

庚申堂

「庚申信仰」を伝えるお堂。
本尊には6本の手をもつ青面金剛が祀られ、
病魔を除く霊験があるとされる。 

万躰観音洞

大師堂左手の地下回廊。
全国の信者が奉納した30,000の観音小像がぴっちりと祀られている。

( 興趣嗜好其他 )
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引用
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