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2011/01/15 10:37:43瀏覽648|回應1|推薦4 | |
萨苏近日有一篇博文《知日目的何在?--接受国际广播电台采访的稿件》。 这是萨苏在接受国际广播电台记者王小燕采访时的部分访谈内容。 对于萨苏这样一个旅日多年又娶了个日本老婆的,并且又写了大量关于中日之间事情的中国 IT 工程师,王小燕在访谈中单刀直入地问他:亲日还是反日? 问题提得很尖锐,记者估计就是给萨苏设了一个套--无论萨苏回答是亲日或是反日,这记者都有得写了。然后文章发表后,让萨苏去处于尴尬的境地。 但萨苏的回答既不是亲日也不是反日,甚至,与中日关系都无关--而是为了把日本当作一面镜子以更好地解读中国。 大虾就是大虾。 夹心饼干啊。。。
日前,在北京接受了国际广播电台记者王小燕的采访,主题是“知日”的目的何在?是为了亲日还是反日? 我的看法是,当前知日的最重要目的,应当是与中日关系无关,而是为了从这面镜子中更好地解读中国。 这篇访谈已经在国际广播电台发出,故此,我节选其中部分放在这里。 由于用于对外广播,我阐述自己观点用的是日语。因这几日工作特别繁忙,可能几天后我会把它翻译过来,抱歉。 -- 萨苏 ――今の中国にとっての「知日」の意義をどう見ていますか。 中国は何故、日本を知ることが必要かについて、これまでややもすれば、「日本のことを知っておけば、中日は将来仲良くなれる」と考えられがちでしたが、知るようになって、却って嫌いになるケースもあります。 私からみれば、日本を見れば、今の中国、昨日の中国、そして明日の中国の全てを知ることができるということが本当の理由だと思います。つまり、中国人は自分自身のために日本のことを知っておくことが必要だと思います。 この広大な中国を生きている一人一人はあたかも一匹の蟻のようです。それぞれがマンションの料金が高いとか、悩みはあるようですが、究極のところ、私たちは蟻の世界のことしか知らず、全体の様子は一体どうなっているのか、良くは知らないところがあります。 世界の中国への見方を例にとっても、実に千差万別です。日本やアメリカ以上に素晴らしい国だという声もあれば、世界で一番悪い国だという声もあります。そのような声の中で、本当は、中国とはどんな国なのかがなかなか把握できません。 一方、日本を見れば今の中国が実によく分かります。1960年代や70年代の高度成長期の日本で起きていたことは今、まさに中国でも起きています。乳児用の毒入り粉ミルクの事件を取ってみても、日本でもかつて乳幼児が130人以上死亡した粉ミルク事件が起きていました(森永砒素ミルク中毒事件)。もちろん、日本のことを知る目的は、日本と中国とどちらがより悪いかを知るためではなく、同じような問題が他の国でも起きていたということをまずは知っておくことです。急成長する中国は、今はまさに、社会問題が爆発する時期に入りました。日本はある意味、「豆中国」のようで、中国の「試験場」的なところがあるように思います。 ――日本は中国にとって鏡のような存在ということですか。 「今」の中国だけでなく、「昨日」の中国も日本で見えます。たとえば、中国の伝統文化の中で、自国ではすでに無くなったものですが、日本ではまだ一部保存されているものがあります。中国では、「伝統文化は近代化の敵だ」と言う見方もあり、伝統をなくすことでこそ近代の発展が成し遂げられると思われている考えがあります。そういう考え方を持っている人にも、ぜひ日本のことを見てもらえたらと思っています。
-- 萨苏 【中文版】 如何在今天看待“知日”的意义? 中国为什么有必要了解日本?迄今为止的一般想法,虽说有“能够了解日本,中日将来可以具有良好的关系”这样的考虑,但是互相了解了,彼此却更加讨厌的例子也是有的。 从我看来,可以说实际的理由是了解日本,以可以更好地理解现在的中国、过去的中国、乃至未来的中国。也就是说,我认为中国人就是为了自己自身的考虑,也有必要了解日本。 在广阔的中国生活的每个人就好像一只一只的蚂蚁一样。尽管有诸如房价高腾这样那样的烦恼,终归我们只知道自己这一只蚂蚁的世界。而对整体的情况,总的成了什么样子不是很了解的。 即使以世界对中国的看法为例,实际上也是千差万别的。既有说中国是比日本或者美国还强大的国家的,也有说中国是全世界最差的国家的。在这样的声音之中,实际上实在难以了解中国到底是什么样的国家。 另一方面,看到了日本就可以充分了解中国。在1960年代和70年代的高度成长期的日本所发生的一些事情,如今在中国也在发生。即使以婴儿用含毒奶粉的事件来说,日本也发生过婴幼儿死亡130人以上的奶粉事件(森永含砷奶粉中毒事件)。 当然,了解日本的那些事,并不是是要了解日本和中国谁更差劲,只是要知道同样的问题在别的国家也发生过而已。在快速成长的中国,目前已经步入了社会问题多发的时期。日本在某种程度上,好比“缩微的中国”,它的发展过程,仿佛为中国做了一次“试验场”。 ——日本对于中国是像镜子那样存在的么? 不仅是今日中国,“昨天”的中国在日本也能见到。例如,在中国的传统文化中,在本国已经消失的一些东西,在日本依然保留着。在中国,甚至还有“传统文化是现代化的对头”这样的说法,有人认为只有消灭了传统文化才能实现现代化的发展。持有这种看法的的人,也一定有必要看看日本的情况。 [完] 值得一提的是,因为篇幅限制,这篇稿子是有删节的。 我在原文中还提到另外几个问题 -- 第一,为何日本可以做中国的参照,而美国和英国不适合。 因为中日两国同为亚洲国家,在文化上有相似之处,同经历过理念的崩溃和对文化传统的反动(日本的战败,中国的文革),而且都经历了一心发展经济,而且都有约三十年时间,成功地每年造就GDP高增长的高速发展时代。二者的年代差异也不很大。 这些,都是其他国家作为“镜子”不具备的。 另外,日本是岛国,地域狭小,人口稠密,具有岛国民族易于激动的气质,因此一旦出现和中国同样的问题,会以更加极端的形式出现,易于我们研究。 第二,为何“在日本可看到中国的未来”文章没有提到;其实,我在演说中用了“明日”而不是“未来”这个词。 原因是,我所说的“明日”是有特指的,说的是日本目前在流行文化上,依然引领着亚洲的潮流,他们设计的电视节目,连续剧模式等,往往通过韩国和港台扩散,成为包括中国大陆在内的很多亚洲文艺圈效仿的对象。所以,看到日本今天在流行什么文化现象,明天就可能在中国看到。 这却不是“中国的未来会和今天日本一样”的含义。中国未来什么样,估计地球生物中很难有谁能猜出来。 第三,只知道别的国家发生过同样的事情,知道我们遇到的苦难并不是上天专门为中国人制作的,还不够。 还要看在日本这样一个与我们颇为类似的国家中,这些毒奶粉,黑煤窑,高房价,低工资等问题,发展是怎样一个“病程”?日本大夫给开了什么样儿的药?有没有我们能参考的? 拿来主义,总是没错的。 |
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( 時事評論|國防軍事 ) |