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日本與咖啡的愛情長跑
2011/07/11 00:03:55瀏覽450|回應0|推薦0

日本與咖啡的愛情長跑

1.日本へのコーヒーの伝来(江戸時代~明治初頭)

はじめて日本にコーヒーが伝わったのは、江戸時代初頭の長崎出島で、人々に受け入れられるようになったのは、明治時代になってからです。

1. 咖啡傳入日本(江戶時代~明治初期)

咖啡首次與日本的親密接觸,是在江戶時代初期的長崎出島,而日本人真正接受這種文化,則是要到明治時代。

最初、その味と香りになじめなかった日本人

西欧諸国ではコーヒーハウスが次々とオープンして、コーヒー文化と呼べる文学や芸術が開花していたころ、日本は江戸時代で、厳しい鎖国政策の真っ只中

にありました。

刚开始,日本人无法适应其特殊的香味

但西洋諸國不斷在日本本土開設咖啡屋,因而所謂的咖啡文化的文學和藝術則如繁花燦爛般,在日本閉關鎖國的江戶時代,在嚴酷的環境中倔強生長。

当時最先端だった飲み物のコーヒーは、長崎出島のオランダ商館設立(1641?寛永18年)以降オランダ屋敷に持ち込まれただろうと推測されます。

作為當初日本最流行的飲料咖啡,據推測,是在長期出島設立荷蘭商館(1641年寬永18年)之後而進入到荷蘭商館內的。

しかし外国人に接触できたのは、役人、商人、通訳、遊女などの限られた日本人のみ、1776年(安永5年)に記された「ツンベルグ日本紀行」(山田珠樹訳?

雄松堂書店刊)には、「二、三の通訳のみがようやくコーヒーの味を知るのみである」とあります。

但是當時可以和外國人接觸的,僅僅是衙人、商人、翻譯和妓女等有限的日本人,據1776年(安永5年)的《Thunberg日本紀行》(山田珠樹譯雄松堂書店刊)中提到,“只有兩三個翻譯好不容易明白了咖啡的味道”。

せっかく出島に入ってきた西洋文化の象徴「コーヒー」も、江戸時代の日本では普及しませんでした。

本格的な普及は、明治も半ばを過ぎてからになります。

進入出島的代表了西洋文化的咖啡,在江戶時代並沒有得到普及。真正在日本廣為流傳,要到明治後半葉。

2.ようやく人々に受け入れられ始める(明治時代)

伝来当初はコーヒーに対して拒否反応を示した日本人でしたが、開国して明治時代に入ると、西洋文化の象徴であるコーヒーを積極的に受け入れようとする

姿勢が見えてきます。これは西洋文化を取り入れ、西洋人と積極的に付き合おうという日本人の文明開化への憧れでもありました。

2. 咖啡开始被接受(明治时代)

對當初傳入日本的咖啡持反對態度的日本人,進入了開放的明治時代後,開始積極地接受代表西方文化的咖啡了。這也表示,日本人正在積極地與西方人進行接觸與磨合,展現了日本人對文明開化的憧憬。

そして長崎、神戸、横浜、函館などに次々に外国人居留地が作られて、そこで外国人から接待を受けたり、欧米諸国への使節や視察や留学などで洋風の食事

を経験したり、横浜などに外国人相手のホテルが作られたりと、日本人が洋食やコーヒーを口にする機会はどんどん増えていきました。

隨後,長崎、神戶、橫濱、函館等逐一被開放成外國人的居留地,由於受到外國人的招待,或因出示、視察及留學歐美諸國等品嘗過了西方飲食的,或在橫濱開設以外國人為對象的旅館,日本人逐漸更多地接觸到西餐及咖啡。

それでも最初は、ほんの一握りの上流階級の人々の口にする、ハイカラな高級飲料の域を出ることはありませんでした。

日本で最初の本格的コーヒー店は、日本人の鄭永慶が東京上野の西黒門町に開いた「可否茶館」という店でした。

但即便如此,真正來自西方的高級飲料只有極少部分的上流社會的人才有機會接觸。

日本第一家真正意義上的咖啡店,是日本人鄭永慶與東京上野的西黑門町開設的“可否茶館”。

1888年(明治21年)の春のこと、アメリカに留学し、帰国後に官吏や教育者を経てこの店を開いた鄭永慶は、文学者や芸術家達が集うフランスの文学カフェ

をイメージしていました。しかし時期尚早で、残念ながら数年の後には閉店せざるをえませんでした。

1888年(明治21年)的春天,留美歸國後曾擔任管理及教育家的鄭永慶開設的這家茶館,成為當時雲集了文學家藝術家的法式文學咖啡館。但是,由於過於超前,數年後該店不得不關門大吉。

コーヒーの輸入量を見ても明治10年にはじめて18トンが輸入され、明治21年ごろに60トン程度に増え、明治40年代になって80トン程度にはなりましたが、まだ

まだ多いとはいえず、とても一般の人々に普及する量ではありませんでした。

咖啡的進口量在明治10年為18噸,到了明治21年左右增加到了60噸,而到了明治40年代則為80噸。雖還不能稱之為“多”,甚至還不到能夠普及民眾的量。

喫茶店がいくつも開店し、ハイカラ好きの人々や文化人、芸術化がそこに集い、コーヒー文化と呼べるものが日本に根付き始めたのは、明治に終わりに近く

なった頃でした。

而多家茶馆的开设,云集憧憬欧美文化的文化人及艺术家,并开始称之为咖啡文化,则一直要到明治晚期时代。

3.ようやく大正時代にて拡大、近年のグルメ志向(大正時代~現代)

日本でのコーヒー文化の先駆けは、「パンの会」(コーヒー愛好家の会)です。森鴎外が指導して1909年(明治42年)に創刊された文芸雑誌『スバル』の

メンバーである北原白秋、石川啄木、高村光太郎、佐藤春夫、永井荷風などが日本橋小網町の「メイゾン鴻の巣」を利用して毎月会合をもっていたのです。

その店は本格的なフランス料理と洋酒を飲ませ、コーヒーも本格的なフランス式の深煎りコーヒーを出していました。メイゾン鴻の巣はさながら文士の社交

場だったのです。

3. 大正时代扩大并成为近年美食新贵(大正时代~现今)

日本的咖啡文化先驅是“麵包會”(咖啡愛好者會)。在森鸥外的指导下于1909年(明治42年)创刊的文艺杂志《昴》的成员北原白秋、石川啄木、高村光太郎、佐藤春夫、永井荷风等人利用日本桥小网町的“メイゾン鴻の巣”西餐店进行每月的会面。

該店推出真正的法式餐點及洋酒,咖啡也是使用了法式的煎培法。“メイゾン鴻の巣”成为了当时名士的社交场所。

明治時代から大正時代にかけて、このような文化サロンの役割を果たすカフェがいくつかできて、日本にもやっとカフェ文化の風が入ってきました。しかし

、いずれもまだまだ一般の人には敷居の高い店ばかりでした。

そんなところに出来た、『カフェパウリスタ』は、最初こそ文士や文学青年たちの社交場でしたが、一般の人達が気軽に立ち寄れる値段と雰囲気で、あっと

いう間に大繁盛して、大正時代の最盛期には全国に20余りの支店を数えるほどになりました。では、なぜそれほどパウリスタは一般の人々に人気を呼んだ

のでしょうか。

明治时代到大正时代,这样的发挥了文化沙龍作用的咖啡屋出现了好幾個,日本终于也吹起了咖啡文化风。但是,这仍舊还是一般人難以企及的高檔餐飲\店。

就在那個時候出現的“咖啡paulista”一開始只是文人及文學青年們的社交場,但由於其價格和氛圍都更適合一般人,很快就成為當時的流行地,在大正時代的最盛時期,全國約有20多家分店。但是,paulista為何會吸引了大眾的人氣呢?

それは、高級西洋料理店プランタンのコーヒーが当時15銭だった時に、パリやニューヨークのカフェを模しながら、しかもコーヒーの普及とサービスに徹し

たパウリスタでは、5銭で飲むことが出来たのです。

作為高級西餐店的printemps的咖啡當時要15錢的時候,模仿了巴黎及紐約的咖啡並徹底做到咖啡普及及優質服務的paulista才賣5錢。

三分の一の値段で本格的な香り高いブラジルコーヒーを味わうことが出来たので、全国に散らばったパウリスタの店で始めてコーヒーの味を知った日本人の

数は数え切れません。パウリスタはコーヒーの大衆化に拍車をかけた店として大きな足跡を残しました。

只需要三分之一的價錢就能品嘗高級的巴西咖啡,這使得全國的paulista將咖啡的味道傳遞給了全日本的人。paulista是咖啡大眾化的推動者,至今仍為人所稱道。

そして大正時代には確実にコーヒー愛好家が増え、昭和に入ってますます需要を伸ばしますが、第二次世界大戦でコーヒーは『敵国飲料』として輸入停止に

なります。日本人の生活から一時期コーヒーは姿を消してしまいます。

その後、戦後では昭和25年から輸入が始まり、珈琲は「平和の使者」とばかりに、人々を感激させました。

大正時代出現了很多的咖啡愛好者,因此到了昭和,需求進一步增長,但第二次世界大戰期間,咖啡作為“敵國飲料”而被禁止進口。日本人的生活中,突然就失去了咖啡的蹤影。

戰後,昭和25年開始又重新進口,咖啡作為“和平的使者”而受到人們的感激。

現在の日本では様々な形でコーヒーが飲まれています。喫茶店と家庭、レギュラーコーヒーとインスタントコーヒー、ホームコーヒーとオフィスコーヒーサ

ービス、各種の缶コーヒー、そしてグルメコーヒー、フレーバーコーヒーという具合です。

現在的日本存在著各種各樣的咖啡。茶館或者家庭的、煎培或者即溶的、家居或者辦公的、各類罐裝咖啡及品飲咖啡、風味咖啡等。

近年ではグルメ指向の人も増えてきたおり、よりおいしい本格的なものを求めるコーヒーマニアが増えてきています。

ちなみに、管理人も朝食はパン食なので、おいしいコーヒーは欠かせません。

近年,將咖啡當作一種品飲的人逐漸增多了,大家追求一種真正的更具品位的咖啡。其實,日本人因為早餐習慣吃麵包,所以咖啡也是必不可缺的。

 

( 時事評論雜論 )
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