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2013/11/21 18:57:06瀏覽307|回應0|推薦0 | |
第66番札所 巨鼇山 千手院 雲辺寺 (きょごうざん せんじゅいん うんぺんじ) 千手観世音菩薩 / 真言宗御室派 / 弘法大師 オン バザラ タラマキリク はるばると雲のほとりの寺に来て 月日を今はふもとにぞみる(はるばると くものほとりの てらにきて つきひをいまは ふもとにぞみる) 〒778-5251:徳島県三好市池田町白地763-2(0883-74-1707) 前札所:第65番札所 三角寺(20.3km)/次札所:第67番札所 大興寺(9.8km) 徒歩:三角寺→番外椿堂→国道192号線→佐野→バス停雲辺寺□→雲辺寺 三角寺から徒歩40分、三角寺口→伊予金田、JRせとうちバス川之江・阿波池田行:伊予金田→雲辺寺口(29分)、下車後徒歩(5km:急坂あり) JR予讃線観音寺駅下車。タクシーで30分。雲辺寺ロープウェイ山頂下車。徒歩5分。 宿坊;60人(3800円) 雲辺寺の歴史・由来 四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにある霊場で、「遍路ころがし」と呼ばれる難所とされた。現在は、麓からロープウエーで山頂駅まで登ることができる。住所は徳島県だが、霊場としては讃岐の打ち始めでいわば「関所寺」。縁起によると、弘法大師は雲辺寺に3度登っている。最初は延暦8年、大師が16歳のときで善通寺(第七十五番)の建材を求めてであったが、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立した。これが雲辺寺の創建とされている。2度目は大同2年(807)、大師34歳のとき、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法をなされたという。さらに弘仁9年(818・大師45歳)、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅を奉じて登り、本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた。 霊場は、俗に「四国坊」と呼ばれ、四国の各国から馳せ参じる僧侶たちの学問・修行の道場となり、「四国高野」と称されて栄えた。貞観年間(859〜77)には清和天皇(在位858〜76)の勅願寺にもなっている。鎌倉時代は七堂伽藍も整備されて、境内には12坊と末寺8ヶ寺を有した古刹として阿波、伊予、讃岐の関所でもあったという。 天正年間(1573〜92)に土佐の豪族・長宗我部元親がこの地の白地城に陣して雲辺寺に参拝し、裏山から眼下を望み四国制覇を目指したが、当時の住職に諫められた。雲辺寺の歴史にも消長はあるが、江戸時代になってからは阿波藩主・蜂須賀公の手厚い保護をうけた。千古の杉に囲まれ、雲に包まれながら法灯を守っている。 雲辺寺の見どころ 巨鼇 大きな海亀。 国重要文化財 本尊・千手観音坐像、毘沙門天立像、絹本色聖衆来迎図 。 雲辺寺裏山問答 長宗我部元親と俊崇住職との問答。 乳銀杏、おたのみなす 境内の片隅、奥まったところにある腰掛け。 毘沙門天展望館 雲辺寺山の四季を360度眺望が楽しめる。 |
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