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不動明王亦稱不動使者或不動尊(梵名:Acalanatha),佛教密宗五大明王主尊、八大明王首座,大日如來的教令輪身。在鎮守東南西北中五個方位的五大明王中,為鎮守中央方位的明王,也是著名的護法神。
概述
不動明王名稱中的「不動」,是指慈悲心不變,無物可以改變撼動,「明」則乃智慧的光芒,「王」是對能操控世間萬物、現象的人的尊稱。不動明王其誓願為「見我身者發菩提心,聞我名者斷惡修善,聞我法者得大智能,知我心者即身成佛。」
不動明王被視為大日如來的忿怒化身,打敗過大自在天。相傳大自在天認為自己是三千世界之主,故心存傲慢,不肯皈依佛祖,所以佛祖化身不動明王,前去降伏其心,不動明王用其足踏大自在天的首級,使其歸順,在諸明王之中不動明王也是最高尊者。 不動明王在漢傳佛教或藏傳佛教都有相當高的聲譽,不動明王與觀音菩薩和地藏菩薩一般,乃是藏民供奉的三尊主要佛像之一。
在日本佛教,東密的信徒多半信奉不動明王,高野山是其道場。在江戶時代,幕府將軍在都城江戶設置有五色不動明王,以祈求政權的和平穩固。
日本人認為不動明王能鎮守溫泉,臺灣經歷過日治時期,在各溫泉區多有不動明王的香火,在臺北北投、嘉義中埔、臺南關子嶺、花蓮太魯閣等地仍有寺廟奉祀。
梵名の「アチャラ」は「動かない」、「ナータ」は「守護者」を意味し、全体としては「揺るぎなき守護者」の意味である。チベット仏教などではこの名よりもチャンダ・マハーローシャナ (चण्डमहारोषण [caNDamahaaroSaNa])即ち暴悪忿怒尊の名でより知られる。しかし、こちらは三眼で毛皮を身に纏い髪が逆立っているなど、日本に伝えられた不動明王とは図像的にやや異なるものである。
空海(弘法大師)が唐より密教を伝えた際に日本に不動明王の図像が持ち込まれたと言われる。「不動」の尊名は、8世紀前半、菩提流志(ぼだいるし)が漢訳した「不空羂索神変真言経」に「不動使者」として現れるのが最初である。「使者」とは、大日如来の使者という意味である。
密教では三輪身といって、一つの「ほとけ」が「自性輪身」(じしょうりんじん)、「正法輪身」(しょうぼうりんじん)、「教令輪身」(きょうりょうりんじん)という3つの姿で現れるとする。「自性輪身」(如来)は、宇宙の真理、悟りの境地そのものを体現した姿を指し、「正法輪身」(菩薩)は、宇宙の真理、悟りの境地をそのまま平易に説く姿を指す。これらに対し「教令輪身」は、仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し教え諭し、仏法に敵対する事を力ずくで止めさせる、外道に進もうとする者はしょっ引いて内道に戻すなど、極めて積極的な介入を行う姿である。不動明王は大日如来の教令輪身とされる。煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。
また、釈迦が成道の修業の末、悟りを開くために「我、悟りを開くまではこの場を立たず」と決心して菩提樹の下に座した時、世界中の魔王が釈迦を挫折させようと押し寄せたところ、釈迦は穏やかな表情のまま降魔の印を静かに結び、魔王群をたちまちに超力で降伏したと伝えられるが、不動明王はその際の釈迦の内証を表現した姿であるとも伝えられる。穏やかで慈しみ溢れる釈迦も、心の中は護法の決意を秘めた鬼の覚悟であったというものである。他にも忿怒の相は、我が子を見つめる父親としての慈しみ=外面は厳しくても内心で慈しむ父愛の姿を表現したものであると言われる。
形象
不動明王周身呈現青藍色,右手持智慧劍,左手拿金剛索,右眼仰視,左眼俯視,周身火焰。一般都以憤怒的形象示人,表示驅魔斬鬼無往不前。而不動明王有兩臂、四臂、六臂多個形象,但大多以兩臂形象示人。其動作形象的來源主要是由印度教的濕婆(佛教稱:大自在天)的忿怒形象而來,多做舞蹈相,立相。
不動明王降魔咒
咒曰:「囊摩悉底 悉底 蘇悉底 悉底伽羅 羅耶俱琰 參摩摩悉利 阿闍麼悉底娑婆訶」
若頌此咒,可避降頭、蠱毒、下符等,修行者,若達某程度,「天魔」、「鬼神」必定現前,頌此咒,消除上述等災難。
不動明王心咒
南無三曼多哇日囉赧憾 南無三曼多哇日囉赧憾 南無三曼多哇日囉赧憾 南無沒鈷三曼多 南無沒鈷三曼多 南無沒鈷三曼多 南無沒鈷三曼多
佛教守護神
佛教《大集經》:閻浮堤外,四方海中,有十二獸,並是菩薩化導,人道初生,當菩薩住窟,即屬此獸護持、得益,故漢地十二辰(十二生肖)依此行也。而不動明王就是其佛教八大守護神之一,對應的漢地十二辰為雞。所以在中國屬雞的人也佩戴「不動明王」法相作為守護神、本命佛。
五大明王
不動明王,中央鎮守明王,毗盧遮那佛化身。
降三世明王,東方鎮守明王,阿閦如來化身。
軍荼利明王,南方鎮守明王,寶生如來化身。
大威德明王,西方鎮守明王,阿彌陀佛化身。
金剛夜叉明王,北方鎮守明王,不空成就佛化身。
不動三尊・不動八大童子
不動明王は、八大童子と呼ばれる眷属を従えた形で造像される場合もある。ただし、実際には八大童子のうちの2名、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)を両脇に従えた三尊の形式で絵画や彫像に表されることが多い(不動明王二童子像または不動三尊像と言う)。三尊形式の場合、不動明王の右(向かって左)に制多迦童子、左(向かって右)に矜羯羅童子を配置するのが普通である。矜羯羅童子は童顔で、合掌して一心に不動明王を見上げる姿に表されるものが多く、制多迦童子は対照的に、金剛杵(こんごうしょ)と金剛棒(いずれも武器)を手にしていたずら小僧のように表現されたものが多い。
八大童子の残り六名は、慧光(えこう)童子、慧喜(えき)童子、阿耨達(あのくた)童子、指徳(しとく)童子、烏倶婆伽(うぐばが)童子、清浄比丘(しょうじょうびく)である。これら八大童子の彫像の作例としては、高野山金剛峯寺不動堂に伝わった国宝の像がよく知られる。東京都世田谷区の世田谷山観音寺には、鎌倉時代の仏師・康円(運慶の孫)作の不動明王及び八大童子像があるが、これは奈良県天理市にあった廃寺・内山永久寺から移されたものである。
なお、不動明王の眷属として八大童子を配することは、サンスクリット経典には見えないようで、中国で考案されたものと言われている。この他に三十六童子、四十八使者と呼ばれるものがある。
また東寺のように五大明王と呼ばれる主要な明王の中央に配されることも多い。
主な経典
大日経の他、特に修験道において好んで読誦されるものが多い。代表的なものを幾つか挙げる。
聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経 (しょうむどうそん だいいぬおう ひみつだらにきょう)
大日如来の大法会で普賢菩薩が文殊菩薩と衆生に向かって自らの感得した不動明王について教えを説き、大日如来がお墨付きを与えるという筋書き。なお太平記において日野資朝の息子阿新丸による仇討ちの話中、行者が明王に祈念して舟で追手の手から逃げのびるシーンは、「大法の船を設け普く苦海を度して彼岸に到らしむる」という部分のオマージュである。
仏説聖不動経(ぶっせつ しょうふどうきょう)
前述の経典の教えのエッセンスを短くまとめたもので、日本で成立したもの。不動明王自身が教えを説くという形式を採る。衆生の心の有り方は一様でない(悟りに到る道も個々によって異なる)ので心の中に住み(修行者自身が不動明王である)、各々に合わせて姿を変え願いを叶えるという内容が説かれている。
稽首聖無動尊祕密陀羅尼経(けいしゅ しょうむどうそん ひみつだらにきょう)
印を結ぶ動作が加わるなど、密教色の極めて強いものとなっている。
以下四つは他の尊格や日本の神々をも代表する存在であるとした讃嘆経に類するもの。他の神仏に優る超越的絶対者としてではなく、衆生の心のあり方は一様でないので悟りに到る道も個々によって異なるという前述の思想を受けたものと考えられている。
不動尊劔の文
不動尊祈り経
不動明王利益和讃
五體加持
その他、関連するものとして
五大力
南無三十六童子
南無八大童子
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( 知識學習|其他 ) |