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第53番札所 須賀山正智院 円明寺(すがざん しょうちいん えんみょうじ)/通称:和気の円明さん
2015/08/26 16:43:48瀏覽42|回應0|推薦0

第53番札所 須賀山正智院 円明寺(すがざん しょうちいん えんみょうじ)/通称:和気の円明さん

阿弥陀如来 / 真言宗智山派 / 行基菩薩

オン アミリタ テイゼイ カラウン

来迎の弥陀の光の円明寺 照りそう影は夜な夜なの月
(らいごうの みだのひかりの えんみょうじ てりそうかげは よなよなのつき)

〒799-2656:愛媛県松山市和気町1-182(089-978-1129)
前札所:第52番札所 太山寺(2.3km)/次札所:第54番札所 延命寺(34.5km)

徒歩:太山寺→円明寺太山寺から徒歩1分、伊予鉄バス松山行:太山寺→和気(6分)JR予讃線伊予和気駅下車。徒歩5分。

駐車場:無料(15台:境内まですぐ)

円明寺の歴史・由来

圓明寺には、アメリカ人巡礼者が発見した四国霊場最古の銅板納札が保存されている。
大正13年3月、シカゴ大学のスタール博士が四国遍路をしている途次、寺の本尊・阿弥陀如来像を安置している厨子に打ち付けてあったのを見つけた。江戸時代の初期にあたる慶安3年(1650)の銘があり、縦24cm、幅が9.7cm、厚さ約1mmで破損のない納札としては、現存最古で例のない銅板製である。
奉納者の樋口平人家次は、京都・五智山蓮華寺の伽藍を再興して、五智如来石仏を造立したことなどで知られるが、この納札でとくに注目されるのは、初めて「遍路」の文字が記されていることでもある。


仁王門

縁起によると天平勝宝元年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫造して安置し、七堂伽藍を備えた大寺として建立したのが創建とされている。当時は、和気浜の西山という海岸にあり「海岸山・圓明密寺」と称したという。
のち、弘法大師が荒廃した諸堂を整備し、霊場の札所として再興したが、鎌倉時代に度重なる兵火で衰微、元和年間(1615〜24)に土地の豪族・須賀重久によって現在地に移された。さらに、寛永13年(1636)京都・御室の覚深法親王からの令旨により仁和寺の直末として再建され、寺号もそのとき現在のように改められている。 圓明寺はまた、聖母マリア像を浮き彫りにしたキリシタン灯籠があることでも知られる。

 

円明寺の見どころ

キリシタン石塔

中門

大師堂左の塀ぎわにあり、高さ40cmほどの灯籠。キリシタン禁制の時代、この地方には信者が多くいて、寺では隠れ信者の礼拝を黙認していたようである。

左甚五郎作の龍

本堂の右上・鴨居にあり、5mほどの彫り物。
行い悪い人が見ると目が光るという。

観音堂

十一面観音像を安置。慶長5年の台座銘。

( 興趣嗜好其他 )
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引用
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