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2008/06/18 17:52:50瀏覽2130|回應0|推薦2 | |
琉球 釣魚臺 釣魚台 老師 師恩 沖繩 日本
私の父はかつて花蓮の中学校で校長を勤め、今は定年で退職し家の近くの私立高等職業学校で兼任で日本語を教えています。去年の十月半に花蓮の父母の所へ帰郷した時、父は嬉しそうに琉球行きの旅を計画しているみたいです。よく聞いてみると、父は今年の始めに転職といろんなルートを通じて六十年前花蓮庁富里庄竹田国民学校で自分の担任をしていた琉球籍の桃原正賢先生の住所を聞き出したと言い、そして是非琉球へ行って先生にお会いしたいと言うのです。 『琉球?』私はよく知りません。ただ歴史の本で読んだのは琉球は元中国の属国で1879年日本に併合されて沖縄県になったの事。英国で留学していた時、日本人のクラスメートがいて、その人の奥さんが琉球人でした。ある日、その奥さんが私に「琉球には貴方さま台湾の人によく似てる人がたくさんいるわよ。」と言ったのです。私のクラスメートがその話を聞いた後、すぐ「琉球人は日本人に似ているか、或いは中国人に似ているか、どっちだと思いますか?」と聞きました。奥さんは長い間沈黙してしまいました。この対話を聞きながら、私は1925年聞一多が詠んだ『七子の歌』を思い出しました。 我等は東海が棒げ出したる真珠一串で 琉球は我が弟にして 我は台湾 つまり、百余年も前から琉球と台湾は苦楽を共にして来た兄弟であったという事を示しています。 父は私にこういう事を話して下さいました。琉球は日本本土から遠く離れていて台湾に近いので琉球から多くの人が台湾へ勉強や仕事に来ていました。当時、父は級長であったので特に新竹師範学校を卒業したばかりの琉球の先生との接触が頻繁でした。それに、同じ被征服者同士の同情心の原因か、その琉球先生は台湾の子供たちに親切で、父に対して特に心力を注いでいたようでした。 父は日本語の基礎が固く立てるのは終戦後続けて勉強したかげもあるとは言うものの、当時その先生にみっちり教えていただいたおかげだと父はずっと感謝しています。 琉球行の出発前、父はわざわざ故郷富までドライブ(往復約200キロ)して先生に贈りたいお土産を買って行きました。私は70歳越えた父がいそいそと旅の支度している様子を見、60年前の師生の誼みを思い二人が会う刹那を想像し、60年流離の情景を偲び、この劇的なストーリは精彩絶倫なるものに違いないと気が付き、父と同行する事をお願いして父の同意を得ました。 私たちのグループは十月の終わりに琉球に向けて出発することになった。父は自分でスーツを持つだけでなく、私にも持たせました。琉球に到着した後父はその先生の住所と電話番号の書付を手にして何度もガイドさんに電話の掛け方とその先生が住んでいる宜野湾市への行き方を聞きました。ガイドさんはそこは遠すぎて今日は無理だと言いながら、明日にしようと父と相談しました。父は気が急いでどうしても行きたかったけど、しょうがなくガイドさんの言ったとおりにするしかありませんでした。父はその日に一日中60年前の小学生のように緊張しながら過しました。 ついに、その日が来ました。ガイドさんが電話を掛け、間違いないと確かめた後父に受話器を渡しました。丁寧な日本語で暫く応答した後、父は沈痛な声で「桃原先生は、4ヶ月前に突然ご逝去なさった。」と言いました。突然な結果に父は愕然として、顔色を失いました。劇的なシーンが始まらないまま幕が閉めたのです。父は母と相談した後、やはり明日花蓮から持ってきた先生に贈りたかったお土産を桃原先生の霊前に供えることを決意しました。 遠い道程でしたが、タクシーの運転手さんは目的先へ進みながらこの話を聞いて感動し、私たちを無事に桃原家に送った上タクシー代をおまけしてくれました。桃原家では先生の奥様以下、三人の子女(もう一人は遠く日本本土にいるらしい)お揃いで鄭重に遅れ馳せにかけつけた60年前の父さん担任のクラスの級長を迎えて下さいました。私たちは桃原先生のご家族にお会いしたことは一度もないけどなぜか温かい純な心意でお世話になりました。まるで他人みたいの区別がないように感じました。お佛に線香をあげた後、御家族のお話を伺っていると、桃原先生は戦後故郷に帰った後もまた戦後の癈墟であった家郷で長年教育を携ってその後、宜野湾市長と沖縄県議長また政界にも御活躍なさった話を聞きました。私たちは自分のこと以上に喜びました。 ホテルに帰る途中、父は重い石を落としたような軽快な気持ちになってきたと言います。が、私は逆に暫く複雑な気持ちに陥ってしまいました。私は父の背中にだんだん遠のき消えてゆく情景が見えた時、突然感じたことは桃原先生の御身影は段々遠くへ消えてゆくだけど、60年前の誼みは一条の深刻な軌跡を残していました。考えってみたら、最も単純なものが思いもよらん深刻さで国、民族、時空を越えて身に泌みることだ、と私は長くしみじみ味わうことができました。 |
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( 創作|散文 ) |