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《キネマ旬報》2016年12月上旬号 No.1733(節錄)
2016/11/22 01:13:23瀏覽464|回應0|推薦2

圖文及翻譯來源在此

木村の着ている衣裳は、白と黒の片身変わりの着物だ。これも生と死の境界線をさまよう主人公の心情を表しているように見える。思えば、木村拓哉が最近演じてきた役柄は、すべてそのような人だった。見た目はもちるん誰に非難されるようなこともなく、ポーカーフェイスの美男。だが周囲との間に見えない紗幕をもつ役柄。

木村穿的是黑白相間的半身短外褂,看起來這也表現出了主人公在生死之間徘徊的心境。仔細想想木村拓哉最近飾演的角色都是這樣的人。外表上看都是無可非議的撲克臉的美男。但是和身邊的人之間總有著一層看不見的紗。

『安堂ロイド』では未来から送り込まれたロボットだったが、「物は役に立たなくなったら捨てられる」と置時計の修理をする横顔がせつなかった。『アイムホーム』の家路久も記憶障害から妻や子の顔が仮面に見えるという男だったが、「昔の僕はどこに居場所があったんだろう」と鍵の束を見つめる姿が寂しかった。

《安堂機器人》中是從未來被送到現在的機器人,邊說著『物品一旦沒用了就會被丟棄』邊修理鬧鐘時的側臉顯得很悲傷。《I'm home》中的家路久則是失去記憶、看妻兒都是戴著面具的設定,拿著一串鑰匙說著『過去的我的容身之所在哪裡呢?』的姿態也很寂寞。

己がもつともわかっている「異形」の人である。

是最不了解自己的「異形」人。

こうしてみると、宮本武蔵や万俵鉄平もそうだ。中央に立ちながら中央でない人。もしかすると、グループに居ながらグループに居なかった人。疎外感を感じ、人との距離感を常にはからねばならない男。その悲しみを表現するのが実に上手い。

這麼看來宮本武藏和萬俵鐵平也是如此。明明站在中央卻又不是中心。或許可以說,是身處群體中卻又游離於群體之外的人。感覺到疏離感,時時刻刻都要測量與他人之間的距離。他很擅長詮釋這種悲情。

「無限の住人」の万次は、木村が演じてきたマージナルな人物の延長線上にある。果たして、どんな異形の人を見せてくれるのか、映画の完成が楽しみだ。

《無限之住人》的萬次,是木村飾演過的邊緣人物的延長線。究竟會展現給我們怎樣的「異形」人呢?期待電影的完成。


原本是《無限之住人》的探班報導,但後面還加上記者對他的戲路點評,覺得有意思就留個紀錄。

其實去年旬報有一篇「遙遠的歸家路」可讀性也很高,談演技什麼,果然還是電影記者比較在行?這篇個人最被觸動的點,就是對近年(或者應該說我喜歡)的戲路作出頗為簡潔的概括。

關鍵詞:寂寞異形疏離悲情

忽然覺得雖然自稱小眾口味飯,但也沒有真的很小眾耶… [?!]

P.S.其實一直覺得他的喜劇很需要好劇本跟對手,他自己最不能自救的就是喜劇…[逃]

( 休閒生活影視戲劇 )
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引用
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