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竹中信景 在宜蘭作什麼? 
2013/06/05 22:08:59瀏覽965|回應0|推薦0

竹中信景 在宜蘭作什麼?    

蘇澳冷泉

                     

竹中信景は、日本の軍人で、台湾が日本統治時代に蘇澳冷泉を訪れた。台湾人は、彼が意図せずこの水を飲むことができることに気がつき、蘇澳冷泉の研究開発が開始し、1916年に日本で開かれた万博ではこの冷泉を利用したラムネが銀賞を受賞したという美談が残っている。台湾の温泉は日本人とのかかわりが強いところが多い。


   竹中信景氏は「蘇澳冷泉開発の父」として知られている。もともと、
蘇澳冷泉は大量の炭酸を含んでおり、魚介類がその中で生長することができず、昆虫さえも水中ではほどなくして死亡してしまうため、昔から有毒な湧き水だと誤解されてきた。

 

日本の統治が始まる数年前、軍事行動で台湾を訪れていた竹中信景氏が蘇澳を通過した際、冷泉を飲んでみたところ「元気百倍」になり、この水に深い関心を抱いた。その後、日本の台湾統治が始まると、間もなく竹中氏は蘇澳に定住し、冷泉の研究と開発に着手した。

  泉質は台湾で唯一となる炭酸カルシウム泉で、透明で飲用も可能である。源泉の水温は約
22度、pH5.5。炭酸イオン68ppm、ナトリウムイオン14.3ppm、カルシウムイオン10.7ppmとなっている。自慢ができるのは、「炭酸冷泉」は世界でも珍しく、ここ「蘇澳冷泉」とイタリアにあるのが有名だ。

 

そして、冷泉には毒性がなく、皮膚病や胃腸の病気に効能があることだけでなく、ラムネの材料として使えることも発見した。竹中氏は私財を投じて工場を建設し、ラムネやサイダーの製造を大々的に展開、台北や花蓮港にまで販売していることを伝える記事が、大正9年4月22日付の台湾日日新報漢文版に掲載されている。ラムネの製造販売は戦後も続いたようですが、現在、冷泉はラムネや羊羹の製造に用いられ、これらは当地の特産品の一つとなっている。

 

          

 

蘇澳冷泉は台湾宜蘭県の南端、蘇澳鎮にある冷泉。地質的な分類としては中央山脈の板岩区にあり、主な地質は変質岩である。源泉は蘇澳鎮の北方、蘇北里冷泉路の七星山西麓にあって、台湾鉄路管理局宜蘭線蘇澳駅の前方約300mのところにある。この場所は、清の時代の福建陸路提督羅大春が開削した蘇花古道の起点であり、開通の記念碑と羅提督の興学碑があったが、晋安宮の傍に移転されている。

 

竹中氏の研究により、冷泉が温泉と同じように身体に良い効能があることが分かると、冷泉の開発も進み、現在の冷泉公園の前身も作られていきた。冷泉を見下ろせる場所に「冷泉先駆者紀年」の碑と、その経緯を記した石碑が置かれている。近くの道は「冷泉路」と名付けられ、時代は移り変われど、冷泉が地元の人々に愛されていることに変わりはないよう。

                  

   「蘇澳冷泉文化節」というイベントが開かれており、会場では蘇澳鎮の林騰煌・鎮長(郡長)をはじめ多くのスタッフの方々が出迎えてくれました。地元の小学生たちの演奏に耳を傾ける竹中さん。竹中さんの生まれは台北ですが、一歳で蘇澳に移ってから敗戦で内地に引き揚げるまでずっと蘇澳育ち。毎年一度は蘇澳を訪れているそうで、戦後67年を経ても故郷であることに変わりはありません。

備考:「日本時代、五十年の台湾 台北州蘇澳郡年表」 竹中 信子 著。

    「植民地台湾の日本女性生活史」 田畑書店 竹中信子 著。

( 在地生活亞洲 )
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引用
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