網路城邦
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流れていないのか
2015/10/22 15:56:55瀏覽67|回應0|推薦0


驚きは???なんと。高校の生徒手帳に、書かれていた将来の希望。
成績が悪いことに対しては、嘆き疲れたようで、
「将来は、オヨメサンになりたい」と、書いてあった。
この希望、じつは、幼稚園の時から変わっていない。

「あなたは、何になりたいの?」と、まわりにいる大人に職業を聞かれ、
幼稚園児のわたしは、本気で「オヨメサン」と答えていた。
これは、今でもはっきり覚えている。
ケーキ屋さんやお花屋さんでもよかったのに、ピンポイント限定、厳選。

???で、
ハナシを戻すと、その高校の生徒手帳に書かれていた、憧れ、将来像、箇条書きの条件。
理想「これこれ、あれあれ、それそれ」
妥協「こんなこんな、あんなあんな、そんなそんな」

この、「妥協」のところに、わたしは大注目した。
な、なんと、いまのわたし、そのもの。
いまの、夫そのもの、いまの生活そのもの、いまの人生そのものだった。

無意識にか、意識的にかは、わからないが、
自分で目標と妥協点を高校生の頃から掲げていたわけだ。
これって、クールすぎないか?
夢が、なさすぎないか?

いい意味でいえば、堅実ということだろう。
おもしろくもなんともないけれど。
ラテンの血は、一滴も?

じつにじつに、温度の低い自分を再認識し、
あーあ???と、ぱたんと生徒手帳を閉じた。


しかしながら、
幸せの基準を自分で設定して、目標路線を描き、それに向かって自分なりに実行しているようだ。
ただし、ハードルは低いけれど。
要は、いかに自分が満足するか、価値観の問題だ。
たんなる石アタマ、凝り固まっている、やっかいな信念なのかも知れない。

いやはや、それにしても、はじけない女子中?高校生だ。
笑える。

( 創作散文 )
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引用
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