驚きは???なんと。高校の生徒手帳に、書かれていた将来の希望。 成績が悪いことに対しては、嘆き疲れたようで、 「将来は、オヨメサンになりたい」と、書いてあった。 この希望、じつは、幼稚園の時から変わっていない。
「あなたは、何になりたいの?」と、まわりにいる大人に職業を聞かれ、 幼稚園児のわたしは、本気で「オヨメサン」と答えていた。 これは、今でもはっきり覚えている。 ケーキ屋さんやお花屋さんでもよかったのに、ピンポイント限定、厳選。
???で、 ハナシを戻すと、その高校の生徒手帳に書かれていた、憧れ、将来像、箇条書きの条件。 理想「これこれ、あれあれ、それそれ」 妥協「こんなこんな、あんなあんな、そんなそんな」
この、「妥協」のところに、わたしは大注目した。 な、なんと、いまのわたし、そのもの。 いまの、夫そのもの、いまの生活そのもの、いまの人生そのものだった。
無意識にか、意識的にかは、わからないが、 自分で目標と妥協点を高校生の頃から掲げていたわけだ。 これって、クールすぎないか? 夢が、なさすぎないか?
いい意味でいえば、堅実ということだろう。 おもしろくもなんともないけれど。 ラテンの血は、一滴も?
じつにじつに、温度の低い自分を再認識し、 あーあ???と、ぱたんと生徒手帳を閉じた。
しかしながら、 幸せの基準を自分で設定して、目標路線を描き、それに向かって自分なりに実行しているようだ。 ただし、ハードルは低いけれど。 要は、いかに自分が満足するか、価値観の問題だ。 たんなる石アタマ、凝り固まっている、やっかいな信念なのかも知れない。
いやはや、それにしても、はじけない女子中?高校生だ。 笑える。
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