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2010/11/20 23:39:48瀏覽284|回應1|推薦2 | |
私にとって人生の中で最も大切な思い出といえるのは、高校と大学の学生時代の頃だろう。高校時代、受験勉強の頃は忘れられない思い出であるけれども、 大学生活は更に思い出深いものだ。人生の出会いは縁あってこそ。各地の県や市から、それぞれ違う高校から同じ学科に合格し、同じ志を持ったクラスメートが一同に集まり、将来の夢や仕事に向かって目指していく、それはなんとすばらしい事であろうか! (3ページ) 大学には3種類の生活がある。(一つは授業。これは例えるならご飯の主食のようなものだ。次にサークル。これはデザートの果物のようなもの。そして恋愛。これは夜食とでも言おうか。)医学部に在籍中、大部分のクラスメートが自分の専攻を一生の生業とするため、膨大な授業数が私たちを息切れさせた。特に大変だったのは「跑檯」または「跑考」と呼ばれるものと「実際操作考」があった。この二つの試験は短時間で深い内容の解答を完成させなければならないため、実物(薬剤や人体)であろうと、あるいは顕微鏡の中の「寄生虫」や「病理組織切片」であろうと、多くの学生たちにとって冷や汗ものだった。その中でも「人体実験」は医学生にとって始めて医師としての重大な責任を感じさせる。私たちのような学生が恐れ多くも「人体の教師」の無言の教えを受けることになった。かつてある一人の「人体の教師」は生前重い病気を患っていた。彼は医学院学生の解剖研究として献体を希望する同意書にサインする時に感動的な一言を語った。「君たち、私の体でメスを入れる時には何度でもミスをしてもかまわない。しかし実際の現場でミスは絶対にしないでくれ。」と。このような無私奉献の精神は医学を学ぶ学生にとって一生忘れられないものであった。 さて大学では勉強会やサークル活動を通して、時には男女の間で愛の火花が散ることもあり、「キャンパスラブ」または「クラスメート同士のカップル」がひそかに誕生する。若者は狂ったように愛したり憎んだりする。だから青年の愛情はまるで「癌」のようだ。気づかないときは何事もないのように見えるが、いったん愛が来ると収拾がつかなくなる。本当は愛情というものは二人の心の交流なのだが、大学時代にはいつもそれがクラスメートやルームメートとの団体ゲームのようになっていた。クラス内のうわさはいつも国内外のヘッドラインニュースよりも皆の注目を引いていた。時には思うように事が運ばず、映画「ローマの休日」のような結末に終わることもある。また運よくカップルになるひともある。また意気投合しているカップルも最後には分かれてしまうこともある。しかしとにかくこのような経験はかけがえのないものだ。もし縁があれば最後にはゴールイン、未来の人生の伴侶に出会えるかもしれない。それとは反対に、もし縁がなければ残念な結果に終わり、後にはただ無尽の思い出だけが残るのだ。しかしそのほか大学生活は気楽で、ロマンチックで、そして心地良い一面もあった。小さな部屋でお茶を飲みながら人生の夢や豊富を心の通った友達と分かち合い、みなで地べた座って笑い、夜を明かして人生について語ったあの楽しい時は、しばしば家に帰るのも忘れるほどだった。 学校を離れて何年もたった「民国3.4.50年代の学生」にとって、過去の高校、大学生活はすべて思い出だけである。人生は往々にして回顧するしかできず、振り返ることはできない。ただ振り返ってみることはできるが、再び戻ることはできない。これは心傷ついて涙を流すべきか?それとも酒で乾杯するか?心傷つき涙を流すなら憔悴する。乾杯すれば酔う。やはりこれは記憶の中においてゆっくりと味わうのがよいだろう。ともかく高校、大学の日々は辛酸苦楽の思い出に満ち溢れている。年老いたとき酒を飲みながらこの時代を語るとき、きっと自分は悔いのない青春時代だったと喜ぶことだろう。だから台積電公司の張忠謀理事長は次のように語っている;「人生は思い出を懐かしむに値する。私が思い出すことは中年になってからの最も活躍した出世時代のことではなく、33歳以前の学業と基礎を作った青春時代の成長期のことである。」と。 卒業後10年してクラスメートと母校で待ち合わせをし、夜中の一時に車で校門に着きみなそれぞれ車を止めた後、ゆっくりとキャンパスへと歩いていった。まるで映画「哀愁」の主人公が昔のガールフレンドの面影を追って橋の上を歩いていたように、クラスメートたちは歩きながら昔のキャンパスで飛んだりはねたり歌を歌ったりした頃を思い出していた。昔の運動場、図書館、寮を通り、当時座った椅子を撫でる。この情景はまるで李白の「春夜、桃の園に宴するの序」のようだ。また王羲之「蘭亭集の序」に描かれた情景のようである。過ぎ去った日々がまるで目の前に再び現れてきたかのようで、みなお互い昔の失敗や面白いことをからかったりして話をしているうちに、知らぬ間にもう朝方4時を過ぎていた。みな名残惜しい気持ちを抱えたままキャンパスを後にしたとき以外にも二人のクラスメートが涙を流していた。このとき崔護の「都城(とじょう)の南荘(なんそう)に題(だい)す」の名詩が私の頭の中をよぎった。 「去年の今日(こんにち)此の門の中 一切の景物は昔のままであるが、人は去り、一世代新しい人が昔の人に替わっていく。さらに私は陳子昂の詩を思い出した。「前に古人を見ず、後に來者を見ず、天地の悠々たるをおもい、一人蒼然として涙涕る」 私は平静を装って二人を慰めた。「泣くな泣くな!明日また仕事だぞ。」 車に戻りゆっくりと我が家へ向けて車を走らせた。車内でカーペンターズの「イエスタディ・ワンス・モア」の歌が流れてきたとき、知らず知らずのうちに私の目からも涙があふれ出てきてしまった。自分は彼らのように自分の気持ちを素直に表す勇気がないのだと感じ、心の中で思わずあの若かりし頃の歳月を想うのだった。 |
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( 創作|散文 ) |