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ふるさと 母校
2010/11/20 21:34:04瀏覽240|回應0|推薦2
 

故郷、母校                          莊順發醫師         

翻譯:  成大台文所博士班伊藤佳代 

ふるさとへ戻ると、故郷だけではなく、幼い頃の日々が懐かしく思い出される 

母校へ戻ると、母校だけではなく、青春の日々が懐かしく思い出される 

私は彰化県の南端に位置する二林という農業の町に生まれた。一般にそこは

三多と呼ばれ、つまり風と砂埃が多く、そしてヤクザ、飲み屋の多いところ

というイメージがもたれている。また、二林の旧称は「儒林」といって、文

豪や学者を傑出するところでもある。

ともかくほかの人がどう思うとも、私にとってそこは幼年から青春期を過ごし

た思い出のある場所なのだ。

ところで、王維の雑詩に次の詩がある。 

君 故郷より来たる
  (まさ)に故郷の事を知るべし
  来たる日 綺窓(きそう)の前
  寒梅 花を()けしや未だしや

王維は寒梅の様子を尋ねているのではなく、実はふるさとの人や物事、

そして幼い日々を思い浮かべているのである。 

私は二林という所に対して、深い思い入れがある。二林には牡蠣のオムレツ

や素食麵、肉づめ団子や赤牛麵など地方名物料理や香り高い金香葡萄などの

名物がある。が、それだけではなく、そこにはなんと言っても私たちの成長

を見守ってくれた家族や親友がいるのだ。

その中で特に「赤牛麵」という店名の由来について言うと、二林の野菜市場に

掛けてある「赤牛麵」の看板を見ると、外の土地から来た人誰もが牛肉麵の店

だと思ってしまう。しかし実はこの「赤牛麵」は牛肉の麵ではなく、豚肉の入

った麵である。というのは店長の学林氏が創業者である祖父の努力と成功を

記念するため祖父のニックネームであった「赤牛」を店名にしたのだ。このこ

とは二林の人なら誰でも知っている。 

 私が記憶しているのは、私が台南から車で二林の「赤牛麵」を食べに行こう

と提案した時のことである。私の妻はあまり気乗りがしない様子、それに引き

換え私の妹は大変乗り気な様子で、私たちは往復200キロをかけて「赤牛麵」

を食べに二林へ向かった。そこでいくつかの料理を注文し、腹一杯になって

満足してから、それはそれは楽しい気持ちで台南に帰ったのだった。私と妹に

とってはあの一杯の麵には幼年時代の思い出が詰まっている。あの麵を食べる

と、麵の香りとともに幼い頃の思い出が次々と頭に蘇ってくるのだ。しかし私

の妻は雲林人である。「赤牛麵」を食べた後の彼女の評価は「ただこれだけの

味じゃない!」ということだった。ただ私と妹だけがあの一杯の麵を食べた時

心の奥で過去の埃にまみれた若かりし頃を思い起こしていたのだった。麵屋の

店長がかつて話してくれた話では、ただ一杯の「赤牛麵」のために、はるばる

花連から来る同郷人もいるという。さらには香港に嫁いだある同郷人が、飛行

機で台湾に戻り、車に乗り継いで二林の「赤牛麵」を食べに来たこともあった

そうだ。もちろん「赤牛麵」に魅力があるのはもちろん、その小さな一杯の麵

だけでなく、それはふるさとに対する深い思いが原動力になっているのだ。 

二林地域には二林四郷鎮(二林、大城、芳苑、竹塘を含む)という伝統的な呼び

方があってこの四つの郷と鎮の人々に対して特に関心を注ぎ、特別な感情を持

っている。たとえば歌手の陳雷は大城郷の人であるが、彼の歌を聴くと、なに

か格別な味わいを感じる。「保力達B」のテレビコマーシャルで芳苑郷出身の

王功が懸命に励む「牡蠣採り人」を演じているのを見ると、彼らの苦労や勤労

精神が思い出され、感動と敬服の気持ちで一杯になる。そのほか、台湾で有名

な「三好米」の産地は雲林の西螺鎮、二崙郷と彰化の竹塘郷である。この辺り

は濁水渓両沿岸に位置し、肥沃な土壌のおかげで米も特別甘くておいしい。そ

のため多くの消費者から広く好まれている。「三好米」の広告を見るたびに私

はいっそう親しみを感じてしまう。また以前読んだことのある二林の小説家洪

醒夫の大作である『散劇』は、20年後の今読み返しても未だに不思議と胸が高

鳴る。中学時代の同級生であった洪碧雀が台南で裁判官になったという知らせ

を偶然耳にしたときも、特にうれしく感じたものだ。 

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( 創作散文 )
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