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2011/10/12 16:41:38瀏覽115|回應0|推薦2 | |
天上的聖地、高野山に雪が降り続く 高野山は819年に弘法大師空海により開かれた 以來およそ1200年間の長きに亘り真言密教の聖地としてい在る 高野山の聖域、壇上伽藍・真言密教の教義を表しているという 伽藍の中心に根本大塔が配される 壇上伽藍は大塔をはじめ多くの堂からなる 三昧堂、大会堂からを望む 三昧堂は鎌倉時代の歌人西行ゆかりの堂して知られる 堂上伽藍ては最小の堂である 1127年に建立された東塔、現在の堂は1984年に再建されたもの 雪の風景は荘厳な高野山の雰意気をいっそう荘厳なものとする 大師の見た雪の風景も同じだったのだろうか 高野山の入り口にそびえる巨大な門、大門高さ42m 1705年に再建されたものである 晴れた日にも遠く淡路島も望めるという 暖冬のせいか高野山の雪は減ったという かつては積雪が1mにもおよんだう言う 大師の肖像画が揭げられている御影堂、 大師御影は真如親王の手による 建立当初は大師の持仏堂であった 幾度か火災で燒失してしまった御影堂、 現在の建物は1847年に再建されたものである 御影堂の横に、聳え立つ松の木が三鈷の松 大師が修行の地を探すため唐より、帰国のおり三鈷を投げられたところ、 その三鈷がかかっていたのがこの松の木であったという 朱塗りの根本大塔に雪が降り注ぐ、大塔の高さはおよそ50m 現在の大塔は1937年に再建された 大塔の中足を踏み入れると、そこは真言密教の宇宙が広がる 柱には十六大菩薩がそして內陣の中心には 胎藏界大日如来と金剛界の四仏が鎮座する 真言密教の根本道場として大師が建立された 大塔は日本初の多寶塔とされる 大塔に参ると仏と結緣できるとされる 大塔を支える十六本の柱全てには 堂本印象画伯の手による十六大菩薩が描かれ 大塔內陣をいっそう華やかなものにしている 蝋燭に照らし出された大日如来の尊顏を見ると安らぎを覚える 大日如来像の頭上は大師の号である、弘法の額が揭げられている 弘法の号は大師沒後921年に醍醐天皇より戴いたものである 高野山のもう一つの聖地、奧の院にも雪は降り続いている 院內にはおよそ20万基の墓が設置され、 その奥に燈篭堂そして大師が眠られる御廟がある 燈篭堂側から参道を見る、道の兩側には樹齡600年の杉がそび立つ 厳しい寒さが続いたせいかお地藏さまも 雪と冰に覆われ白化粧を施されている 水向場の十四体の金仏は人々人煩惱を救うため雪の中佇んている 奧の院が最も荘厳に感じられるときが冬 寒さと雪の白さとが相まって訪れる者に感銘を与える 木立に積もった雪が風に吹き飛ばされた瞬間 辺りは雪のべールで覆いつくされる 燈篭堂では朝勤行が始まった 維那が杓丈で香水をまいている、清めの意味である 維那として四各の識眾により声明の讚が唱えられる 天井を埋め尽くす燈篭、全国の信者から献上されたものである 燈篭堂と呼ばれる所以である 高野山は燈明信仰の地として知られる、 堂の正面には1000年近くも燃え続けているこつの消えす火がある 一灯祈親えす上人が献じた祁親燈、別名貧女の一灯ともいわれている もう一つは白河上皇が献じた白河燈であるこの消えず火は入廷され、 永遠に生きていっらしゃっる大師の生命の象徵とされ 1000年近く守り通されてきたのである 高野山を支配した厳しい冬も終わりを迎える 金剛峰寺の庭からも春の足音が聞こえてくる 蟠龍庭の石庭を覆っていた雪も次第にその量を減らしていく 盤龍庭は日本最大の石庭である 高野山が華やぐ季節が巡ってきた 樹齡300年を越す山桜が滿開を迎えている 樹高は10mを越すだろうか高野山の山桜である 奧の院の一の橋近く清淨心院にこの美しい桜はある 本堂から桜を臨む高野山の靜かな春を滿喫できる瞬間 高野山では桜は4月中旬から樂しめる この桜が滿開となったのは4月20日 厳しいの中の美、高野山はこれから美しい時が続く 桜の季節が終わると新綠が高野山を覆う 大塔伽藍と金剛峰寺を結ぶ道、 蛇腹路も新綠が美しいトンネルを作っている 高野山真言宗の總本山金剛峰寺を彩る花がある 桜に続いて高野山を彩る花がある 初夏の高野山を飾る花は石楠花である 石楠花と校倉造りの納経所が美しい コントラストを見せる金剛三昧院の風景 金剛三昧院は北条政子の建立である 滿開の石楠花と多寶塔、高野山の美しい初夏の風景である 國寶に指定されている多寶塔、 高さは14.9m創建されたの |
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( 創作|散文 ) |